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新年会

2010年01月27日 16:45

今回の記事は天明水の会会報誌「サエモンバネ」の編集長である田代さんに書いていただいた。
今後も引き続き会員の皆さんにはいろんな記事を書いていただこうと思っている。会員自らが情報を発信していく事で会の活性化にもつながるのではなかろうかと期待しているところです。

のうがき
 いつものO氏に代わって今回は通称「天明水の会の格さん」こと、小生が担当します。理由はO氏が仕事の都合で新年会に出席することができなかった、ただそれだけのことです。しかしせっかくこういう機会を与えられましたので、このブログをご覧の方々にひとつだけ申し上げておきたいことがあります。皆さんのなかにはこのブログをO氏の個人ブログではないか、と感じておられる方も多いかと思います。そういう方々へ―――天明水の会でやる事業はすべて早い者勝ちで決まるルールになっています。このブログも例外ではなく、発案者のO氏には好きなように発信してよい権利が与えられている反面、それを管理する義務も課されています。ともかくO氏個人のスケッチが多いとはいえ、それゆえに尚のこと、記事のはしばしからありのままの会の空気を感じてもらえることと思います。

本文

 平成22年1月18日。天明の川口町にある割烹「まこと」に着いたのは午後6時過ぎだった。すでに初代会長の濱崎 勝さんをはじめ、世話役の事務局長など10名ほどの会員がそろっていた。真っ先に目の前の関所に足を運んで今夜の会費を支払った。酔っ払ってしまう前に会費を納めるのは本会の数少ない鉄則のひとつだ。代わりに領収証と真っ白の名札を手渡され、名前は自分で書け、と関守から突き放された。
 開始予定時刻の6時30分頃までにはほぼ全員がそろったように思う。途中小さくざわめいたのは、会員のなかの若手で、熊本市長もしている幸山政史氏が黒いスーツ姿で姿を現した時。会場に緊張と華やかさが走った。こうしたなかでただひとり、1時間ほど遅れます、と事務局に連絡を入れていたのは、本会の浜辺誠司理事長だった。今夜の司会役らしい濱崎さんが時計に目をやりながらやがてそのことの詫びを入れた。ただし理事長の本業である海苔養殖業が、いま1年のうちで最も忙しい時期にあることは大方の人が承知のことなので、もちろん出席者から批判の声が出ることはなかった。さてこうした場合、数年前までの濱崎さんであったならば、「このままいっそやけして、ただぼさっと待っとるとも何とんつくれまっせんけん、理事長が来らすまでカンパイなしで、こもう飲みよりましょう」というのが九分九厘間違いのない流れであったのだが、今年はそれを取りやめにします、とご本人が釈明した。小生は残念に思ったが、本会もそれだけ年をとったということか、と反芻した。
 いよいよ新年会が開会した。集まっているのは、会員のほかに友好団体である県青年塾と夢・豊野塾、行政側から国土交通省熊本事務所と熊本市からの出席者を得て、全部で30名弱。全員の顔が見える範囲でおおいに飲み、食い、しゃべり、とごえるにはこれが精一杯の人数か?小生は面識のない役人の方を横目に見ながらそう思った。それにしても進行役を初代会長にさせていることに、かすかに胸が痛む。
 まずは間近な事業や催しについての案内と説明があった。そして理事長に代わって木下副理事長があいさつを終えたちょうどそのときに浜辺理事長が息を整えながら会場に入ってきた。濱崎さんがすかさず浜辺理事長にあいさつを求めた。
「天明水の会はことしで17年目を迎えております。しかしながら近年は活動への参加者が少数の会員に固定されてしまい、組織として半ば形骸化している面がございます。ことしはこの現状を打破するため、ある決意をもって臨むつもりでおります」
 理事長は表情を和らげることなく唇をとじた。
乾杯の音頭とりは幸山市長であった。そしてそのあとはしばらく、ひたすらに「まこと」の料理を口に放り込み、ビールを喉に流し込むことになったのだった。
 熊本市川尻町に住む地域づくりアドバイザー、村田幸博氏がこの会場に姿をみせたのは、飲み始めてさほど時間の経っていない頃であった。本会の立ち上げにも尽力してくれた彼がここで登場してきたこと自体は何ら違和感のないことであった。しかしこの夜、彼はなんとモンゴルからの民族音楽のミュージシャンと同行していた。彼の口上によると、現在20日間ほどかけて熊本県内を演奏してまわっている最中なのだという。じつは来る1月30日(土)に「モンゴル民族音楽団 チャリティーコンサート in kumamoto」が天明のホールでも開かれる予定になっていて、本会もその共同主催者として支援することになっていた。彼らがやって来たのはそのプレゼンテーションの意味だった。会場はいつのまにか水を打ったように静まり返っていた。そしてやがて「まこと」の大広間でミニライブが始まった。三人のモンゴル人が来ていたが演奏したのはふたりだった。馬頭琴という弦楽器と横笛の演奏、そしてホーミーと呼ばれる喉歌が披露された。小生はそのときの音色のすばらしさをとうてい言葉で表すことはできない。日本とはまったく異質の音楽が大広間の天井から障子、壁、広い畳のすみずみにまで響き渡った。演奏が終わり、拍手が長かったのが皆の感動をものがたっていた。
 このあとの予定はないという彼らをそのまま客に加えて、その後いよいよ座が盛り上がっていったのは水が山から海へ流れるがごときであった。この空間のなかでは全員が平等であり、自由であり、仲間であった。同じ世界の空気を吸っていた。
 やがてスピーチタイムがやってきた。天明水の会お決まりのコースだ。自己紹介が基本なのだが、自分でどしどしなんでも自由にしゃべっていいコーナーだ。(ただし人の中傷だけはご法度である)とは言っても、話に夢中になっている者はもちろん聞いていないし、聞いていても、すでに酔いのまわり始めた者たちの耳にどれだけ真意が伝わるかどうかははなはだ心もとないところだ。それにしゃべりたい者もいれば、やむなくマイクを握る者もいる。なかには歌をうたう者までいて、余興と言ってもよいようなひとときである。
 小生は酒を飲むとすぐに顔が赤くなり、量も人並みにはとうてい飲めず、最後は勝手にグウグウと寝てしまうタイプである。そんな性癖を記憶しているうちにと思い、3時間ほどが経過した午後9時30分ちかくなって三々五々帰りはじめたお客に紛れて、小生もこのあたりでご無礼することに決めた。    後日聞いた話では、小生が帰ったあとしばらくして中締めの一本手打ちがあり、その後も延々と続き、最終的に終わったのは今日だったとか、明日だったとか。(終わり)


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